山聲(やまびこ)山旅

琵琶湖の東岸、彦根をベースキャンプにしたハイキングや旅行、古寺探訪など、時々の移ろいをカメラで切り取ります
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柏原宿のかくれ寺
3月21日は春の彼岸
日常生活で、お寺には縁がありませんが
たまには雰囲気を変えて訪れるのも・・・・

柏原(かしわばら)宿は、中山道(69次)60番目の宿場です
中世以来の宿場で、江戸時代後期には
宿内家数は344軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠22軒で宿内人口は1,468人でした

柏原は、江戸時代当初は幕府直轄領でしたが
8代将軍吉宗による享保の改革により
甲府藩(柳沢吉保が徳川家以外の藩主として藩を納めていました)を納めていた柳沢家は
柳沢吉保の長男:吉里の時代に大和国郡山藩に移封(甲府は天領となる)
それと同時に、柏原は郡山藩の飛地となり明治維新まで続くことになりました

寺院の立地は
修行を重んじることから、世俗に近いところを避け、山里や山中にあります

今回訪問の古寺は
黄檗宗(禅宗:臨済宗・曹洞宗・黄檗宗のひとつ)慧日山永明寺(えにちさんようめいじ)です
柏原宿の人里離れた山里にある禅寺で
明朝様式でつくられた立派な本堂が森の中に忽然と現れます
「かくれ寺」とのキャッチフレーズが似合う古寺です

山聲(やまびこ):慧日山永明寺



本堂前の月台(げったい:本堂内に月光を取り入れる装置、法要時の臨時の舞台にもなる)
         ただ今、櫛目の作業中
頼久寺
04月07日(月)
備中高梁の頼久寺に出かけてまいりました

頼久寺は、臨済宗永源寺派の寺院
起源不詳。暦応2年(1339)、足利尊氏により再興され、備中国の安国寺とされました
当時、中国より帰国した寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とされます
関ヶ原の戦い後封した小堀遠州の策定になる蓬莱庭園があり
現在まで当時に近い形で保存されています



山聲(やまびこ)hp:頼久寺



鶴亀の庭園、借景は愛宕山
妙教寺(最上稲荷)
04月06日(日)
 備中の最上稲荷(さいじょういなり)に出かけてまいりました

最上稲荷は、伏見稲荷大社・豊川稲荷(妙厳寺)と共に日本三大稲荷の一つと称されます(諸説あり)
開創の歴史は古く、平安時代以前に遡ります
しかし建築群は新しく、仁王門はソトゥーバー(卒塔婆)をイメージした斬新なデザインです



山聲(やまびこ)hp:妙教寺(最上稲荷)




本殿(霊光殿)
吉備津神社
04月06日(日)、備中吉備の吉備津神社に出かけてまいりました

吉備津神社は備中国と備前国の境に位置し
中世には武家の篤い崇敬を受けています
本殿の屋根が入母屋造りで前後に二つ並べた特異な形式です
「吉備津造り」と称され、前部に拝殿を接続した建物で国宝に指定されています
今回は、この屋根をカメラに収めたくてやってきました



山聲(やまびこ)hp:吉備津神社




吉備津神社本殿甍


永源寺-初冬
臨済宗永源寺派の大本山永源寺。康安元年(1361)、近江の守護職佐々木六角氏頼が、この地に伽藍を建て、寂室禅師(正燈国師)を請して開山となし、瑞石山永源寺と号しています。当時、山中には数多の坊・末庵を有する大寺院でしたが、応仁の頃、京都五山の名僧知識がこの地に難を避け、修行されたと伝えられています。方丈(本堂)は、葭葺(よしぶき)の大屋根では国内屈指の建物とも言われています。また、モミジの永源寺の名で広く知られます。


山聲(やまびこ)hp:永源寺



永源寺本堂:写真をクリックすると拡大写真

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